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2008年12月23日(Tue)
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year/2/12

12


 ちょうど良いくらいの力で足を前へと踏み出し、当たり障りのない程度に腕を振り、イドゥンは走っていた。
 よもやアース神族の兵士がこうまで口が堅いとは思わなかった。決闘の朝、フレイがバルドルと一緒にシアチの館を出て行くのを確認してから、イドゥンも窓枠を伝って脱出した。ブリーシングの首飾りを外して力の一端を解放してしまえば楽なものだった。
 しかし、シアチの館の中にいたアース神族の兵士を捕まえて決闘場所を問いただそうとしたのだが、それはうまく行かなかった。知らぬ存ぜぬの一点張りで、 他の兵士に切り替えても口は割らなかった。彼らが決闘場所を隠しているのは明らかだったが、暴力的な手段で口を割らせるわけにもいかない以上、あとは足で 探すしかなかった。
 捕まえた兵士をとりあえず気絶させ、シアチの館の外に出る。見張りに見つからないように脇道を抜けて。
 焦りで足が自然と早くなってしまう。手に握ったブリーシンガメンが震え、甲高い音を鳴らす。あまりルーンを発しすぎてしまうとブリーシンガメンが壊れてしまう。イドゥンは立ち止まり、深呼吸
 少し迷ったが、首飾りは付け直さないことにした。手首に巻いておく。ルーンの発散は避けたいが、フレイの安否が気にかかる。それだけイドゥンにとってはフレイは大事な相手だった。
 力を制御しながら町へ出る。決闘が行えるような場所はどこにあるだろう? もしかするとスリュムヘイムの中ではないのかもしれない。
(とりあえず、誰かに訊いてみよう)
 イドゥンはそう思い、辺りを見回す。決闘場所の噂を耳にした巨人族でもいないだろうか。
 繁華街のはずなのに人影が見当たらないことに違和感を覚えたが、すぐに人だかりを見つけることができた。イドゥンはそちらへ足を向ける。
変な臭い………
 人だかりに近付くにつれて、悪臭強まっていった。ブリーシンガメンでルーンを抑えないと五感も強まってしまうため、非常な嫌悪感があった。ブリーシンガメンを付け直そうかと、手首に巻いた首飾りを手に取る。
 イドゥンは咄嗟に身体を捻った。
 目の前を飛行体が過ぎ去る。
 人だかりからイドゥンに向かって飛んできたのは、一本の曲剣だった。絢爛な装飾。神剣ユングヴィ
 反転し、もう一度向かってきた剣を、イドゥンは刃に両手を重ねるようにして止める。少しの間力積を加え続けてきたユングヴィだったが、抑え続けていると根負けしたのか、力を失った。
(なんでユングヴィがここに………)
 イドゥンは疑問を感じながら、ユングヴィの柄を握る。何か不快感を感じ、手を見る。血に濡れていた。
 怪我をしたのかと思ったが掌に傷はない。が付着していたのはユングヴィの刀身だった。
 人だかりから巨人がこちらに向かってくるのを感じ、イドゥンはその場から逃げる。どうも血に塗れた姿を見られると誤解されるようなものが、あそこにはあるような気がした。
 手近な路地に逃げ込み、壁の煙突管を伝って屋根に上る。足を忍ばせて先ほどの人だかりの真上へと向かう。
 そこは建物と建物の間の細い路地だった。辺りは血に塗れ、死体が四つ倒れていた。全員がアース神族なのは髪と瞳の色でわかる。死体はすべて喉を斯き切られて死んでいるようだ。人だかりはその死体を発見した巨人族らのもののようだ。彼らは怯えたように死体を見、そして去っていく。
(どうして………)
 まさか、ユングヴィが彼らを殺傷するのに使われたのだろうか。ユングヴィは特定の人物にしか使えないはずなのに。そもそもフレイが持っているはずの剣が、なぜここにあるのか。
 イドゥンは疑問を確かめるようにユングヴィを見ようとした。しかし、手にずっと握っていたはずの剣はどこにも見当たらなかった。



 何か変な感じがする。
 ロキは下方から魔法に似た力を感じたが、しかしそちらに注意を払う余裕はなかった。現在ロキはスリュムヘイムの上空を、トールをぶら下げて飛んでいるのだ。
 トールは重い。身長が高く、筋肉質である。しかも鎧を着ているのだから、本当に重い。彼を運ぶ苦労は相当なものだった。ルーンで身体を浮かせているのだが、ルーンで浮かばない分は翼を羽ばたかせて浮力を稼がなければいけないのだから。
 しかしロキにとって、フレイを助ける二番目に確実な手は、トールに手を貸してもらうことだった。
 ロキは今日の朝、フレイとフルングニルの決闘場がバリの森になったことを見届けた後、医務室として割り当てられた部屋で寝ていたトールのところへ飛んでいき、彼にフレイを助けてくれるよう頼んだのだ。
 トールは怪我が完治していたわけでもなかったが、快く承知してくれた。誰もいないときを見計らい、ロキはトールを抱えて飛んだ。
 スリュムヘイムはそれほど大きな町ではないが、人一人を抱えて飛ぶにはあまりにも巨大すぎた。どんどん速度が落ちていく。地上に降りて歩いてしまいたいと何度も思ったが、それでも地上を歩くよりはずっと早いのだ。
「おーい、ロキ、大丈夫か」下からトールが声をかけてくる。「だいぶ遅くなってるぞ」
重い………
「わかってる。頑張れ。フレイを助けるためだ」
 トールに代わりに決闘に出てもらうのは、フレイを助けるための手段のうち、ロキにとっては二番目に確実な手であった。
 最も確実な方法があり、しかもそれはロキにとっては簡単な行為だったが、ロキはそれを採択しなかった。魔法は使いたくない。
 ロキにとって、フレイというのは所詮その程度の存在だった。
 助けられるのならば助けたいが、すべてを投げ打ってまで助けたいわけではない。
(そうなのかな………)
 ロキは自分の考えに少し苛立つ。
 苛立ちで、さらに疲労が募る。バリの森まではまだまだ遠い。
「トール……」ロキはトールに声をかけ、しかし言葉が見つからない。「重い………
「こればっかりはどうにもならん」トールの声。
「鎧脱いでよ………」
「空中で脱げるか」
「何か捨てるものとかない? ミョルニルとかさ……」ロキにはまだ冗談を言う余裕があった。
 トールの返答はなかった。代わりに掴んでいる彼の片手が振り払われる。
 彼が何をしようとしているのか下を向いて確認すると、トールは片手で自分の懐を弄っていた。まさか本気でミョルニルを捨てようとしているのだろうか、と ロキは心配になる。ミョルニルはある程度自在に大きさを変えることができ、質量もそれに応じて変化する。持ち運びするときはトールはいつもミョルニルを小 さくしていた。
「ない」
 トールの言葉を、ロキは一瞬聞き違えたかと思った。
「なにが?」期待を込めて訊く。
ミョルニルがない」トールははっきりと言った。「忘れてきた」
 なんとかぎりぎりで保っていた気力の均衡が崩れ、高度が落ちる。疲れた。降りたい。
「待て待て、ロキ、待て」トールの慌てた声。「大丈夫だ。ミョルニルがなくても勝てるから、もうちょっと頑張れ。あと少しだぞ」
「無理………」
 フルングニルはそれだけ強い。アース神族最強の戦士トールでさえも、武器なしでは勝てるかどうかわからない。
「いや、ほら、もしかするとさ、決闘なんだから決闘用で武器とか用意してあるかもしれないだろう。ミョルニルなくても関係ないって。大丈夫だから、もうちょい頑張れ。落ちたくない」
「そんなわけないよ………」
 建物の屋根の上に不時着する。疲れた。羽根が痛い。
 ロキは振り返る。さきほど感じた魔法のような違和感が気になったのだが、すぐにそのことは忘れた。